明治の初めに慶応義塾を創設した福沢諭吉は、「学問のススメ」や「西洋事情」という本を書いて、西洋文明の紹介とその日本への導入に力を注いでいました。その理由は、新しい科学技術をいかに効率よく取り入れて、遅れている当時の日本を欧米列強の国々に負けないレベルにするためでした。したがって、教育と学問も先進国をまねること(模倣)に力点が置かれたのは当然であったかも知れません。

 この「思考道のススメ」とWebサイトは、「自ら考える力」を身に付けることをテーマにしています。そこでは、日本文化の特徴を紹介し、日本の伝統文化を再発見することに力点が置かれています。その理由は、福沢諭吉らの先人のお陰で、明治・大正・昭和を通じて積み上げられてきた諸制度、諸科学、諸技術は近年あるレベルまで達し、平成としての時代の要請は「模倣から創造へ」と転換したと考えるからです。また、創造には何が大切かと問うとき、その国の伝統的な文化から発する「何か」であると少なくとも私は信じるからです。

 最近、学校教育では学力の低下が顕著となり「ゆとり教育」が悪かったのではないかと騒いでいます。その前の時代の「詰め込み教育」の反省が「ゆとり教育」を生んだわけですが、また、元に戻せとでも言うのでしょうか? 「ゆとり教育」か「詰め込み教育」にすべきかは、単に手段や方法に関わる選択に過ぎません。本当は教育の「目的とねらい」が重要であって、それは「画一化を目的とする教育」か「創造性豊かな多様性を目的とする教育」かのどちらにするかの選択だったはずです

 これからの時代の要請は「創造的教育」であると思います。「創造的(型)教育」を教育の目的とねらいとするならば、次に、その手段や方法は何かを具体的に提示しなくてはなりません。そこで、それらを明らかにしたいと思います。

  2005年6月11日
  二重の虹が見えた幸運な日に 千々松 健
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