7-2.行列と行列式・・関孝和とライプニッツ
◇「行列式」の生みの親は17世紀ドイツのライプニッツといわれています。(彼は「二進法」の創始者としても有名)
しかし、彼に先立つこと十余年、江戸時代の和算家である関孝和が「伏題」と称して同じものを既に発表していました。
行列式determinantを基礎として19世紀イギリスのケーリーが「行列」を編み出しmatrixと命名したと言います。
◇わが国は江戸時代の鎖国中、中国から数学を学んでいたわけですが、和算としても充分に進歩していたのです。今日のコンピュータを生んだ数学の基礎となる行列式の概念を、関孝和が世界に先駆けて見いだしていたという事実は日本人の大いなる誇りと言えましょう。
◇連立方程式の解を求めるための別法として編み出された行列式は、純粋数学として生まれたのですが、社会的背景を考えることもできるのです。(この見方については第10章以下で述べます)
◇当時はあらゆる産業の発達により経済・流通は複雑化し、ある事柄が他のものに対してどれだけの影響を及ぼすかを判定したり、バランスの良い最適解を求める必要性が生じていたと思われます。行列および行列式はそれに役立つ数学なのです。
(高校では先に行列を学び、次に行列式を学ぶことになっていますが、歴史的には行列式が先で行列は1世紀以上も後なのです。)
◇関孝和もライプニッツも、藩主や王朝家という時の政治権力者に宮仕えをしていたので、整合性を重視する見方が求められていたはずです。やがてこのような考え方は、現在各国で使用されている「産業連関表」(ノーベル賞経済学者のW.レオンチェフが考案した)へと結実して行くことになります。
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